日本SOD研究会 | 活性酸素による様々な弊害や疾病と活性酸素を抑制する丹羽SOD様作用食品について

最近、健康の鍵を握る物質として“活性酸素”と“SOD”の役割がクローズアップされてきました。そして、“活性酸素”が体内で増加すると、がんや成人病を始め、種々の弊害や疾病を引き起こすことがここ数年の間で明らかになってきました。当サイトでは、活性酸素の作用、障害、除去について丹羽靭負(耕三)博士の著書を中心に、出版物、学会誌、各種新聞などの公的な資料をもとにまとめて公開しております。

丹羽SOD療法の症例①

土佐清水病院に入院された方々の症例

兼本恵理子・36歳・主婦:月刊安心(96-01)から引用

アトピーで、手の指が曲がらなかった私が、普通の肌になった
生後3カ月からアトピーとの付き合いが始まった
母の話によると、私にアトピー性皮膚炎の症状が出始めたのは、生後3カ月くらいのときだったようです。湿疹が顔いっぱいに出たのです。
その後、小学校に入学するころからひざの裏やひじの内側、足のつけ根など、体の柔らかい部分に湿疹が広がりました。
そして高校2年生のとき、さらに悪化してしまいました。体の柔らかい部分の湿疹がふえ、ひどいかゆみを伴うようになったのです。
太陽光線と汗が悪化の原因になり、スポーツは禁止!
私の場合、太陽光線に当たることと汗をかくことが悪化の原因になるそうで、医師からスポーツを禁止されました。
それから3年間、ぬり薬はもとより、ほとんど毎日かゆみ止めの注射と飲み薬が欠かせなくなったのです。
二十歳、薬の副作用のため、薬が禁止に
その後、違う病院に2年ほど通ったある日、私は院長先生に「これ以上薬を使い続けたら、ひどい副作用が出ます。もうやめましょう」と宣告されました。
このとき、私は毎日1本、ぬり薬を使うようになっていたのです。
薬をやめたところ、顔などはひどく悪化しましたが、安心してつけられる薬がないので、冷やすだけでなんとかやり過ごしていました。
三十歳過ぎ、指が曲げられないほど悪化
それが、どうしようもないほど悪化したのは、去年の春、4人めの子供を妊娠していたときです。
湿疹が全身に広がり、とくに手の湿疹は水仕事をするためか悪化して、指も思うように曲げられない状態になってしまったのです。
あまりのかゆさに、無意識のうちにかきむしってしまい、私の体には3~5cmのかきこわした湿疹のあとが広がるようになりました。
出産後の生活は、それはたいへんなものでした。指がうまく使えないため、生まれてきた子供の世話も満足にできないのです。
かゆみで夜もろくに眠れず、いつも疲労困憑といった状態でした。
また、お湯が皮膚にしみて痛いため、お風呂は25度の低温にしないと入れなくなりました。
土佐清水病院での入院中での経過
今年(1995年)の夏、アトピー治療で有名な丹羽先生が福岡にきて診察すると聞いた私は、もうこれ以外すがるものがないという気持ちで診察を受けました。
そして、「1週間入院して治療を受けなさい」といわれ、入院したのです。
  • 入院初日
    病院では、軟膏をぬってもらい、SOD様食品とルイボスティーの粉末を飲みました。軟膏はまるでセメントをぬるように厚くぬり、そのあと包帯でグルグル巻きにします。治療の効果は、入院した夜から現れました。まったくかゆみというものを感じず、朝までぐっすり眠ることができたのです。
  • 入院3日目
    割れて赤い肉が見えていた手の傷口が盛り上がって、回復に向かっていることに気づきました。また、指の屈伸も、だいぶ楽にできるようになっていました。
  • 入院4日目
    手の指先の傷口がふさがって、汁が出なくなりました。朝にシャワーを浴びて、前日にぬった薬を落とすとき、黒ずんだ皮膚の角質がボロボロと落ちるようになったのです。手も足も首も白くなり、体をこすってもしみるような痛みを感じないことに気づいたとき、私の胸は喜びでいっぱいになりました。
  • 入院5日目
    湿疹のかきこわしで硬くなっていた皮膚が、かなり柔らかくなっているのに気づきました。手はもうほとんど回復し、手のひらまでも白い色になっていたほどです。
  • 入院7日目
    私は退院し、家族の元に戻りました。色素沈着はまだ残っていましたが、SOD療法を続けていれば、いつか本来の皮膚の色にもどることでしょう。
  • 現在の私
    長い間、上の三人の子供たちに海に行きたいとせがまれても、紫外線に当たって悪化するのをおそれて連れて行ってやれず、かわいそうなことをしてきました。家業の酒屋の仕事も、太陽光線がこわくて満足にできなかったのです。これでようやく一家の主婦、母親として正常な日常生活をいとなむことができます。そのことが私にはなによりうれしいのです。

皮膚を掻くと、肉が落ちるほど悪化したが、6日で劇的に治した

山本桂子・24歳・無職:月刊安心(96-01)から引用

私は今年の(1995年)9月、土佐清水病院でアトビー性皮膚炎の治療を受け、どんなにお金と時間をつぎ込んでもよくならなかった症状が、劇的に改善しました。

アトピーになったのは、5歳のときから
生まれつきのアレルギー体質だった私が、アトビー性皮膚炎になったのは、5歳のときです。
自分の顔を意識するようになったときには、私の顔にはまゆ毛というものがなく、顔の肌はまるで象のようなシワがよってカサついていました。
体じゅういたるところに湿疹が出ていて、ひどいかゆみで授業にも集中できないほどでした。
中2、ステロイド剤の副作用で出血し、無排卵性月経の診断された
そして、かゆみを抑えるため使い続けていたステロイド剤の副作用が、初潮が始まったころから現れました。
生理のたびに出血が1カ月、2カ月と長期間続き、中学2年生のときは、ついに7カ月間止まらなくなり、無排卵性月経の診断を受けてしまったのです。
二十一歳、ステロイド剤の中止によるリバウンドで苦しむ!
3年前には副作用をおそれて、私はステロイド剤の使用をやめることにしました。私が本当に苦しむようになったのは、それからです。
象のようにカサついていた皮膚が、ステロイド剤を使わなくなったリバウンドで、今度はグジュグジュになり、皮膚から黄色い汁がにじむようになったのです。
また、体調も悪くなり、ほとんど寝たきりの状態になってしまいました。
二十四歳、肉汁が出て、肉がはげ落ちる
今年3月、ある病院に行き始めてからは、より悲惨な状態になりました。治療法が私の体質にまったく合っていなかったのでしょう。
顔をはじめとして、全身がスポンジ状になり、あとからあとから黄色い汁がにじみ出し、毎日3回も服を取り換えないと、着るものが皮膚にピッタリとはりつくようになったのです。
このころからは、皮膚をかきむしると肉が落ちてくるようになってしまいました。
土佐清水病院での入院中での経過
そして今年9月、親戚から土佐清水病院のことを聞いた私は、ワラにもすがる思いで、治療を受けるため、四国へ向かったのです。
  • 入院初日
    病院での治療は、毎日1回、シャワーを浴びたあと、看護婦さんに軟膏をぬってもらうことと、病院で出されるSOD様食品とルイボスティーの粉末を飲むことでした。軟膏はベタベタするので、ぬったあとに全身を包帯でグルグル巻きにします。
  • 入院2日目
    治療を開始して2日めの朝、シャワーを浴びるために包帯を取ったときの感激は忘れられません。グジュグジュのスポンジ状だった湿疹が、乾いてカサブタになり、バラバラと落ちてきたのです。そして、包帯をはずした皮膚には、かゆみというものがまったくなくなっていました。泣きながら何時間でも体をかきむしっていた昨日までが、まるでウソのようでした。
  • 入院4日目
    いっしよに入院していた人から「顔の皮膚が一枚になったわね」といわれたとき、私はうれしさのあまり泣いてしまいました。私の顔は今年の6月から、色素沈着による黒ずみとスポンジ状になって体液が浸出している部分がまじり合って、まだらになっていたのです。それが、薄めの紫色に色素沈着してはいましたが、均一な質感になったのは、なによりうれしいことでした。そして、うっすらとではありましたが、まゆ毛も生え始めていたのです。
  • 入院6日目以降
    皮膚の3分の2は汁の浸出が無くなり、象のように深いシワはかなり浅くなっていました。この、最初の6日間の回復が最も劇的で、あとは緩やかに、でも確実に回復に向かったのです。再生した皮膚は、初めのうちは茶色でしたが、入院後半の10~14日で、最初の30%くらいの濃さになっていきました。そして17日めに退院するときは、ほとんど全身の皮膚が、本来のスベスベの皮膚に変わっていたのです。

皮膚科を7軒も転々としたアトピー性皮膚炎が、ついに軽快した

平木通計・45歳・自営:愛媛新聞(95-01ー21)から引用

アトピー性皮膚炎の大半は思春期までに症状が消えるが、近年、治癒困難だったり、一度治ったものが再発、あるいは大人になってから発症する人が増えた。

成人発症のアトピーが徐々に全身に拡大
松山市の平木通計さん(45)も、大人になってから発症した。症状に気付いたのは5年ほど前。
首や脇(わき)に湿疹が出た。始めは〟あせも〝程度に考え、市販の塗り薬をつけていた。
だが、次第に、背中や腹、腰、足へと拡大。病院に通うようになり、アトピー性皮膚炎と診断された。
大学病院でのステロイド剤の投与も無効
昨年1月には大学病院に人院。1カ月足らずで症状が軽くなり退院したものの、再び湿疹が広がり、入院生活は4月まで続いた。
院内には重症化して失明寸前だったり、皮膚が象の肌のように厚くなった人もいた。
身体を掻いて傷つけないよう自らの手をベッドに縛り付けたり、手袋に穴が開くほど掻きむしるなど、それぞれが拷問のような苦痛と戦っていた。
平木さんも重症だったため、炎症によく効くステロイド剤の投与を受けていた。
しかし、この薬は皮膚萎縮や毛細血管拡張、皮膚感染症の誘発など副作用が強かった
。使用を止めたいと常に考えていたが、緒局、入院中もステロイド剤に頼らざるを得なかった。(中略)
SOD療法で、やっと自分を取り戻す
平木さんは、「漢方薬、野菜スープ、ヨーグルトキノコ、ロイヤルゼリー、低周波治療、セラミック風呂-。
雑誌などでいいと知ったことはほとんど試した」と語る。(中略)9月に人り皮膚科医の紹介で高知県土佐清水市内の病院を訪問。
この院長は人体の活性酸素や過酸化脂質の研究を通して、独特のアトピー療法を考案。全国各地から、数多くの重症者が訪れていた。
平木さんは、病院近くの民宿に泊まって2週間近く通院。全身に軟膏を重ね塗りして、包帯をぐるぐる巻きにするなどの治療法などで、3日目にはかゆみがとれたという。
退院後も院長が開発した健康食品や塗り薬を続け、今は外見的にはほとんど治っている。
同日の新聞に、平木さんの奥様が感謝の記事を投稿

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